病気

2007年3月24日 (土)

く、薬を・・・・

脊髄の手術をしてかれこれ1年と3ヵ月が過ぎようとしてます。

手術をする前とした直後から比べると、みんなが驚くくらい元気になりましたよ~。

しかも体重まで随分立派になってきました。 (×_×#(×_×;)シユン

でもね、一つだけ変わらないものがあるんですよ。

それは、薬の量なんです。

1日2回、痛み止めと、筋肉をほぐす薬を飲んでます。どんな時でも欠かしたことはありません。

ずっと飲んでるので、体が慣れてきて最近では、本当に効いてるのかな??って思うくらいです。

でも、やっぱり効いてたんです。今日ハッキリ分かりました。

実はお昼ご飯を食べた後、必ず2種類の薬を飲むんだけど、うっかり筋肉の緊張をほぐす薬を切らしている事を忘れてたんです。

ガーン!! どうしよう・・・・ でも、最近聞いてるかどうか良く分からないし、一回くらい大丈夫だね。・・・なんて甘く考えておりました。

やがて夕方になってくると、足や背中の辺りがこわばってくるし、なんだか目眩までしてくるし、どう考えても調子悪い・・・・

やっぱりあの薬はちゃんと飲まないとダメなんだ~って再認識しました。

ちょっとふらふらするけど、何とか無事に家まで帰って急いで薬を飲みました。

ふぅ~・・・・・

なんだか、薬中毒みたい・・・・ (×_×#(×_×;)シユン

今度からはいつも薬のチェックを忘れないようにしなくっちゃ~

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2007年1月30日 (火)

冬は辛いっす!

突然ですが、みんなは一年の中でどの季節が好きですか~?

私は断然「夏」です!

前は「春」とか「秋」だったんだけどね、今は暖かいっていうか、暑い夏が一番好きです。

まず、身体が萎縮しないから、歩いたり何するのも楽だしね。血液の循環もいいみたいで冬に比べたら全然違うもん。

後はね、着る服が少なくて済むから、朝の支度がちょっと楽!(-^〇^-) ハハハハ

・・・・というわけで、今の冬は一番辛い季節なのよねん。

そういえば、去年の今頃は毎日リハビリオンリーの日々だったような・・・・

この前ね、あ~~、一年前のリハビリだけの、のほほ~んとした日々に戻りたいよ」っていったらね、

「何言ってんの~、会社に戻れるかな~って毎日毎日言ってたくせに」って言われちゃった。 (-^〇^-) ハハハハ

そうだった・・・・ 

人間ってその時々で好き勝手な事いうものだよね~。

今、冬が辛いよ~なんて言ってても、そのうち夏になったら冬が一番いいよ~って言うようになるかもね! びゃははは (≧ω≦)b

早く、そんな日がこないかなぁ~?

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2006年6月19日 (月)

病気のこと ~入院編・7~

お待たせしました~!今日は入院編・7ですよ~

ほんの1ヶ月しか入院してないのに、気が付けばこんなに長い長編小説になってました。

しかもノン・フィクションです。(≧∇≦)/ ハハハ

まぁ、笑えるのは今だからなんですけどね。

あああああ

もう知らない人はいないと思うけど、もう一度読みたい!なんて人がいたら、病気のこと 全四章・入院編 こちらからどうぞ。

ああああ

手術から10日ほどして、やっと抜糸になりました。普通の怪我とかだと1週間くらいだけど、整形外科の場合は10日から2週間くらいかかるらしいんですね。

それまで、お風呂も髪も洗えません。 うぅぅ~、辛いよ~。だって私、中学の頃から毎日の朝シャン欠かしたことないんだもん。髪の毛が汚れてるのが一番嫌~~~!

・・・・そんな事を考えられるようになったのは、元気になってる証拠なんだけどね。だって術後は痛くて苦しくて何にも考えられなかったもんね。

ある時、突然N先生がやってきて、 「まるさん、抜糸しよう~」 って言いました。

朝ごはんを食べてお昼寝 (昼寝とは言わないか) してた私は 「ホェ?何?」 と半分寝ぼけてました。

「抜糸だよ~!はい、横向いて~。いくよ~」

んん~、何かチクッとするけど、これが抜糸なの??

「Sぽんがさー (S先生の事) まだだって言うんだよ~、あいつは慎重派だからな~。 出来ぬならやってみせよう抜糸・・・・」

あ・・・S先生、Sぽんって呼ばれてるのね。 偉い順に並べたら、T先生、N先生、S先生の順だもんね。

だけどN先生、出来ぬなら・・・・・ってかなり字足らずですけど・・・・

何て思ってる間に抜糸終了~~!

「はい、終わり~。もうシャンプーしてもいいからね。よくガマンしたね~」

って言いながら、爽やかにN先生は去っていきました。

早速、看護士さんにお風呂に入れてもらいました。

・・・・って言っても、湯船にザブーンと入るわけじゃなく、(入ったら溺れちゃうからね) 椅子に座ってシャワーです。

でもね、私の身体や髪や顔まで丁寧に洗ってくれて、看護士さんってスゴイなぁ~って改めて思いました。

だって他人の身体だよ~。家族ならまだしも、他人の身体をこんなに丁寧に洗ってくれるなんて、やっぱり白衣の天使っていうだけあるよね~

そんで、ちょっと聞いてみました。

私 「ねーねー、仕事してて嫌な患者さんとかいないの?」

看護士さん 「う~ん、まぁ、人間だから嫌な事もあるけど、あんまりないよ。それが仕事だしね。」

私 「エライんだね~、私だったらできないよ~。でもさー、こんなにたくさん患者さんがいたら、すぐ忘れちゃうでしょ?」

看護士さん 「それがねー、結構覚えてるもんなんだよー。何年も前に入院した人が、また入院してくることがあるんだけど、覚えてるもんね。

私 「そうなのー? やっぱりスゴイね~」

そんな話しをしながら、すっかりピカピカになった私。う~ん、スッキリ!

スッキリした後はリハビリです。

大学病院にはちゃんと作業療法士(OT)の先生もいるので、手のリハビリも診てもらえるんですね。

洗濯バサミを摘んで、別のところに挟む。

これって普通の人には簡単なんだけど、私には難しいんです。指の力が弱いから、上手く摘めない。摘もうとするとピンッって弾けて他所へ飛んでっちゃうの。

でも、頑張って全部やり遂げましたよ~ ヾ(>▽<)ゞ ウレシイ♪

途中で先生が 「もう止めとく?」 って聴いてきたけど 「全部やる」って言ってやりました。

終わった後、「まるさんは、悔しいとは言うけど、疲れたって言わないね。頑張りすぎちゃダメよ」って言われました。

そんなつもりは全然なかったんだけど、私、すぐにムキになるタイプみたいです。 (≧∇≦)/ ハハハ

だって、早く良くなりたいんだもん!

そんなちょっと平和になりつつある入院生活でした。

またいつか、入院編・8をお楽しみに~

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2006年6月 8日 (木)

病気のこと ~入院編・6~

あれ?今日はココログのメンテだったんですね~ ぜ~んぜん知らなかった~ (;^_^ A フキフキ

ところで、延ばし延ばしになってた入院編の続きを書きますね~

すっかり忘れちゃったひとは 病気のこと 全四章 ・ 病気のこと 入院編1~5 こちらをどうぞ~

長いので飛ばしながら読んだほうがいいですよ (-^〇^-) ハハハハ

ああああ

手術から1週間ほどすると痛みも随分楽になってきました。

でも、まだ寝たきりのまま。まだ身体を起こしちゃだめだったので、食欲も全然なし。

そんな私に一番たくさん声を掛けてくれたのは、N先生でした。

毎日毎日、朝一番に部屋にやってきて

「まるさん、おはよう~!調子はどう?ご飯食べてる?ちゃんと食べないと元気にならないよ~。ほらほら、病人みたいな顔して~。じゃーね、元気出してね」

そう言って、さわやかに去っていきます。

病人みたいな顔って・・・・ 私、病人なんだけど??? ま、いいか。。。。

クリスマスイブの日には、食堂で看護士さんたちがコンサートをしたり、大学の学生さんたちがクリスマスカードを手作りして配ってくれました。

今年はクリスマスどころじゃないね~なんて、両親と話したりしました。

次の日、やっと体中に付いていたいろんな管が外れて、起きていいって許可がでました。

長いこと寝たきりだったのと、手術で神経を触っているので感覚が鈍くなってて、最初はベッドの上に座る練習からです。

足を垂らして、ベッドの上に座って見ると・・・フラフラして、誰かに支えててもらわないとじっと座れません。

ボールの上に座ってる感じで、座るだけでも難しいんだ~って思いました。

でも、早く座れるようにならないと、すぐに年末が来てリハビリがあんまりできなくなっちゃう。。。

何だかちょっと焦ったけど、すぐに座れるようになりました。

12月26日

初めてのリハビリの日です。 恥ずかしながら、まだ歩けなかったので尿の管はつけたままリハビリに行きました。

リハビリの先生に足の力とかを見てもらうと

「これだけ力があったら、歩けると思うよ。歩いてみよう」って言われました。

えっ?すぐ歩くの???ってビックリしたけど、最初は先生に支えられながらだけど、ゆっくり歩けたんです。

o(^-^o)(o^-^)o ヤッター

なんだか、ロボットが歩いてるようなぎこちない歩き方だったけど、リハビリ初日から歩けるなんて~

頑張ればもっと上手に歩けるようになるね~

最初からいいこいとがあったんで、リハビリ大好きになっちゃいました。

でも、3日ほどリハビリをしたら、お正月休みになっちゃって、しばらくは自主トレするように言われました。

年末でも、病院の先生は休めないんですね~

主治医のT先生も、N先生も、S先生も、み~んな様子を見に来てくださいました。

ある時、T先生が突然やってきて、「歩いてみよう」と言って歩行器を持ってきたんです。

もう~、T先生ってば強引なんだから~って思いながら、広いところへ行って歩行器で歩いてみました。

もちろん、一人で歩くのはこの時が初めてです。

でも。。。。あれ??ゆっくりだけど歩けるよ? 歩行器につかまっておけば、転んだりしないもんね。

先生、大丈夫みたい~

それを見たT先生も

「歩けるじゃない~、それだけ歩けたらもう尿の管をはずしても大丈夫だよ」

やった~!私、歩けるし、これで面倒な管も外れる~ (ずっとおむつを付けてたので、それも恥ずかしかったんだ)

こうして、2,3日もすると歩行器での散歩が日課になったのでした。

今日はここまでね。

またいつか、この続きをお楽しみに~

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2006年5月12日 (金)

病気のこと ~入院編・5~

お待たせしましたぁ~! 今日は入院編の続きですよ~

えっ!?待ってない? そんな事言わないで付き合ってくださいな~ (≧∇≦)/ ハハハ

もうちょっとしたら明るい話題になってきますよ~。

ドラマ感覚でお楽しみください~♪

今日までのドラマを逃した方は 病気のこと 全四章 ・ 入院編 1~4 こちらからどうぞ

でも、かなり長いので面倒な人は飛ばして読んでくださいね (^▽^笑)

12月16日 手術後~

昼から始まった手術も無事終わり、病室へ帰って来たのは夜9時をまわっていたそうです。

何人ものお医者さんと看護士さんに付き添われて帰ってきたらしいです。

私はストレッチャーを押してくれている看護士さん一人だと思っていたんですけどね。

途中で何気なくある段差でガタッとすると、頭や身体がすごく痛かったのを覚えています。

病室に戻ってからは痛みとの戦いです。

幸い、傷口の痛みは以前から飲んでいた「大根を干して煎じた物」のお陰で、全く痛まなかったのですが、頭の痛さはこれまでにないほどでした。

もともと頭痛持ちで、頭が痛いのには慣れていたほうですが、この痛みは尋常ではありません。

頭の中でハンマーを振り回されているような、割れてしまうんじゃないかというほどです。

15分から20分ごとに看護士さんを呼んでは、飲み薬、座薬、筋肉注射と打ってもらって痛みと闘いました。

痛みは夜も昼もなく襲ってきます。 両親は交代で付きっ切りで見てくれました。

痛いよ~痛いよ~ 頭が割れる~ 助けて~

そんな日が4日ほど続きました。

看護士さんは嫌な顔一つせず、何度も何度も部屋を覗いては励ましたりしてくれました。

手術から4日位が一番痛いんだよ。あとは段々楽になってくるからね。頑張ろうね。

看護士さんの言ったとおり、4日目位から酷い痛みは無くなってきました。

でも、相変わらず右手の感覚がありません。

手を開いているのか、握っているのか、曲げているのか、伸ばしているのか・・・・分からないんです。

ベッドに横になっていて、右手がどこにあるのかが分からないんです。

私の右手どこ?ってよく聞きました。

目で見て感覚を取り戻すんだよっていわれて、見ながら手を握ったり開いたりしました。

他にも身体の感覚がおかしくなってるところがいっぱいありました。

首からお尻にかけて、鉄板を貼り付けたような感覚。

両足に布団のような物が巻きつけられたような感覚。

とにかく、私の身体は手術前の身体とは明らかに違っている、しかも、悪くなっていると感じました。

寝たきりで、身体を起こすことも出来ず、寝返りも打てない日々が1週間ほど続きました。

傍に付いてくれてた母に何度も聞きました。

私、手術して良かったのかなぁ?  もしかして、もうこの右手動かないのかなぁ?  仕事はもう無理かもしれないなぁ・・・  頑張ったらもうちょっと何とかなるかなぁ・・・・  どうして私、こんな病気になったのかなぁ・・・・  何にも苦労しないで努力もしない人いっぱいいるのに、どうして私ばっかり、こんなに辛い思いしなくちゃいけないの?

愚痴や不満や不安をいっぱいいっぱい言いました。 母はいつも言いました。

まだ手術してそんなに経ってないんだから、あせっちゃダメよ。ゆっくりゆっくり右手を動かしてごらん。ほら、出来るじゃない。これからリハビリが始まったらしっかり頑張ればいいの。あなただけが辛いんじゃないのよ。世の中にはもっと辛くても頑張ってる人が一杯いるんだから。

主治医のT先生は、手術は思い通りに出来ました。上手くいきました。と説明してくださっていましたが、その時は手術して良かったなんて、これっぽっちも思えなかったんです。

大好きなテレビを見たくても、音が頭に響いて見ることができません。

ただ天井を見ながら、じっと時間が過ぎていくのを待つだけでした。

長い長い時間を、不安と後悔の思いで過ごしました。 

今日はここまでね♪

次回、入院編・6は来週の予定です~ お楽しみに~(誰も楽しみにしてない??) 

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2006年5月 7日 (日)

病気のこと ~入院編・4~

あ~もう4日目ですね。 そろそろ飽きてきました?

でも、もうちょっとだけ付き合ってくださいな~  だって今の元気な私はこの入院生活で出来上がったようなものなんですから。 (-^〇^-) ハハハハ

12月16日 入院4日目(手術当日)

実はこの日、前から体調が悪かった母方の叔母のお葬式の日だったんです。私が入院してすぐに亡くなってしまって、お葬式の日と手術日が重なってしまいました。

しかも、もう一人母方の叔母も胃がんの手術を受けたんです。

何という偶然というか、悪いことが重なるというか・・・・

そんな訳で、可愛がってくれた叔母のお葬式には出ることができませんでした。

本題に戻りますね。

手術当日は朝から絶食です。水分も何時までって決められてちょっと辛かったです。

その後、浣腸 (食事中の人はゴメンなさい) をしたり、手術着に着替えたりして慌ただしく過ごしました。

朝からいろんな先生が入れ替わり立ち代りやってきて、「頑張りましょうね」って声を掛けにきてくれます。

もちろん両親も来ています。

12時を過ぎた頃、看護士さんが迎えにきました。

手術後に必要な荷物をチェックして、車椅子に乗せられて手術室へ向かいます。

私の後を両親がトボトボとついてきてくれました。

看護士さんが車椅子を止めて言いました。

ご家族の方はここから入れませんので。 じゃー行ってきます、ね。

車椅子を後ろへ向けてもらって、両親に向かって手を振りました。泣かないように笑って手を振りましたが、二人の顔を見れませんでした。

手術室の前で主治医のT先生が待っていてくれました。

「頑張りましょうね」って声を掛けられて「はい。よろしくお願いします」ってちゃんと言えました。

手術室の看護士さんを紹介されて、病棟の看護士さんとの引継ぎが済むと、本人確認です。間違って手術したら大変なことになりますから・・・

名前と生年月日を言ってください。と言われて、

「まるです。昭和○○年・・・ぐずぐず・・・○月・・・・○日生まれでしゅ・・・ぐずぐず」・・・

まるで迷子の子みたいで恥ずかしいくらい、泣きながらやっと自分の名前と生年月日を言いました。(看護士さんは優しくティッシュをくれました)

ストレッチャーに乗せられて、麻酔をかけられました。

最後の抵抗か重たくなる瞼を必死で閉じまいとしましたが、やがて意識が遠のいていきました。

・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・

「まるさん、まるさん、終わりましたよ。ご家族の方も来ていますよ。右手を動かしてみてください。右足を動かしてみてください。」

もうろうとした意識の中で、みんなが覗き込んでいるのがわかりました。

でも・・・・・右手も右足も動いてるかどうかが分からないんです。自分では動かしているつもりでも、感覚がないんです。

「分からないよ!分からないよ!私治る?リハビリしたら治る?」

傍にいたS先生に泣きついたのを覚えています。

先生は

「術後の一過性のものだから、リハビリしたら治るよ。大丈夫大丈夫」

手を取って言ってくださいました。

それから何時間かして、麻酔がしっかり覚めてから病室に戻りました。

後から聞いたら、夜9時を過ぎていたそうです。

今日はここまでネ♪

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2006年5月 6日 (土)

病気のこと ~入院編・3~

3日も連続で病気のことを書いてるので、初めて私のブログを見た人がいたら「なんて暗い話題~」って思うかも~

実は私、根暗なんです~ (-^〇^-) ハハハハ

なので、今日も入院生活について書きま~す♪  まだ手術のとこまで行ってないからね~

12月15日  入院3日目(手術前日)

手術の詳しい話しを聞くために両親が病院にやってきました。

説明してくれるのは主治医のT先生。それと看護士さんの立ち合いで話しが進められました。

内容は前日聞いたことと同じでしたから、私はうつむいて聞いているだけでした。手術をするにあたって起こりうる事の説明も受けました。

  • 輸血等で感染症にかかる危険があること
  • 神経を触るので車椅子になってしまう可能性があること
  • 呼吸器を付けなくてはならなくなる可能性があること

様々な説明を受けましたが、私も両親も何も言えません。

手術の同意書を受け取って部屋へ戻りました。

部屋に戻るとまたまた泣き虫の私は、グズグズ泣き出しました。

立ち合ってくれた看護士さんが「大丈夫?ショックだよね」って慰めてくれました。

渡された同意書にサインさえしなければ、手術は中止になるんだなぁ~って思ったけど、それをする勇気がありません。

頭の中では先生の言われた事が充分すぎるほど分かっているのに、やっぱり手術が怖くて怖くて逃げ出したい・・・ でも、逃げてたら今度は寝たきりの人生が待ってる・・・  手術をしたら呼吸器を付けたり、車椅子の生活になるかもしれない・・・・

いろんな思いが頭の中をグルグルグルグル回って結論なんて出せません。

ただ、もう逃げられないんだっていう気持ちだけで同意書にサインしました。

サインを済ませると、手術のための準備です。

髪の毛を耳の上辺りから剃らないといけないので、病院内の床屋さんへ行きました。

一応女の子なので、上の方の長い髪を残してもらってハゲが見えないようにしてもらいました。

残っていた検査を済ませたら、両親は帰っていきました。

一人で食事をしてると、看護士さんがやってきて手術着と翌日の予定表を持ってきてくれました。

あ~~いよいよ手術なんだなぁ~って、ボーっとしていると家から電話がかかってきました。

「物は考えようだよ。ごっそり腫瘍を取ったら社会復帰できないから、今のあなたに一番いい方法を、先生方が考えて下さったんだよ。これでいいんだよ。きっと大丈夫だよ。」

そうだよね・・・・ きっとそうだね・・・・

そう思いながら、ベッドに横になりました。

今日も眠れそうにないので安定剤をもらいました。  でも・・・これを飲んだら、すぐに明日になっちゃうな~ 明日が来るのは嫌だな~ なんて最後まで往生際の悪いことを考えながら、結局薬を飲んで寝ました。

明日はいよいよ手術の話しで~す♪

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2006年5月 5日 (金)

病気のこと ~入院編・2~

病気の話しなんて面白くないと思うんだけどね。

こんな話し、ブログでしか書けないので勘弁してくださいね。

初めて私のブログを見る人がいたら、「ここ暗~ ( ̄д ̄) エー」って思うかもしれないけど、私そんなに暗くないと思うので、ちょっと我慢してね。 ぺこ <(_ _)>

12月14日 ~入院2日目~

今度は背の高いN先生がやって来て

「私もT先生と一緒に診ていきます。よろしくお願いしますね。」

と、さわやかに挨拶しに来て下さった。ちょっとカッコいい・・・(^▽^喜)

えーと、えーと、私の担当の先生は、主治医のT先生と、補佐のS先生とN先生かぁ~。何でそんなにたくさん先生が付くの??

あ・・・・そっか・・・・ 私の病気珍しいからだ・・・・

担当の先生は全員大学病院の「脊髄研究チーム」だったんです。 つまり、いい研究材料ってところですかね。

この日も一つ検査を済ませて、何もすることが無くボーっとしていたら、ようやく主治医のT先生が登場してきました。

私、T先生ってちょっと苦手なのね。 優しいんだけど、うまく溶け込めなくて・・・・

突然T先生がやってきて、手術の説明を前もって一度しますから・・・と言われて、別の部屋へ行きました。

説明は両親と一緒に聞くものだと思っていたので、一人で聞くのはすごく不安だったけど、逃げるわけにもいかず説明を聞きました。

もう分かっていると思うけど、あなたの病気は頚髄腫瘍です。首の骨の1番上と2番目のあたりにあります。

腫瘍はおそらく良性でしょうが、取ってみて病理検査をしないと何とも言えません。また、この腫瘍がどういうものかも分かっていませんから、これも病理検査しないといけません。でも、多分良性でしょう。

良性でしょうが、腫瘍が出来ている位置は最悪です。

ある意味、癌や脳腫瘍よりも悪いです。

例えば脳腫瘍ならたくさんの神経がありますから、その内どれかが悪くなっても他でカバーすることが出来ます。けれども脊髄の中には他にカバーできる神経は無いんです。

パソコンのモニターの一部が見えなくても使うことが出来ますが、それをつなぐケーブルがやられたらモニターは写らなくなるのと同じです。

この病気はいつ手術をするかタイミングが難しいんです。症状が全く出ていないのに手術をする気にはならなかったでしょうが、今なら手術の必要性が分かってくれていると思います。

それで、手術ですが、さっきも言ったように、あなたの場合は大変位置が悪すぎます。しかもとても大きいです。

どんな腫瘍かがはっきりしないのに、ごっそり取ってしまえば健康な神経もダメになります。

そこで、手術は2段階に分けます。

今回は、まず骨を削って神経の入っている袋を広げて、腫瘍からの圧迫を取ります。

腫瘍は病理検査に必要なので、少し取りますが全部は取りません。

次に残した腫瘍は必ず大きくなるので、脊髄内で神経を圧迫しないように骨に穴を開けて腫瘍が外に出るようにします。

膿みを外に出すのと同じで、脊髄内で行き場がなくなるから神経を圧迫するので、切り目を入れて外に出してやるんです。

今回の手術はそこまでです。

また腫瘍が大きくなって、身体に悪さをし出したら次の手術です。この時はどんな腫瘍かが分かっていますから闘いやすいです。この時が勝負です。

今から大体2年~数年後と考えています。

虫の鳴くような声で、ハイ、ハイと返事をしながら説明を聞きました。

腫瘍は全部取れないんだ・・・・

私、まだ元気になれないんだ・・・・・  

何のために決心して入院したんだろう・・・・

そう思いながら、涙がこぼれそうになるのを必死で我慢して先生の説明を聞きました。

説明が終わって病室に戻ってから、家に電話しました。我慢していた涙がドッと溢れて止まりませんでした。

「私、腫瘍全部取れないんだって。一部だけとって、また大きくなったら手術するんだって。もう治ると思ったのに治らない・・・・また手術するの嫌だ嫌だよぉ~」

電話の向こうで母が言いました。

 「しっかりしなさい。大丈夫だから。ここまできて止めるわけにはいかないでしょう。あなたが自分で手術をするって決めたんでしょう。明日そっちに行くから、ちゃんとご飯を食べて寝なさい。しっかりしなさいよ。」

夜遅くになって、また一人担当の先生がやってきました。 これで私は4人の先生に担当されることになりました。

それほど、難しく珍しい病気なんだと再認識しました。

この日はどうしても眠ることが出来ず、安定剤をもらってようやく眠れました。

今日はここまでネ。

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2006年5月 4日 (木)

病気のこと ~入院編・1~

今週はゴールデンウィークで、ちょびっと暇なので、私の入院生活のことを書いてみようと思いま~す♪

今から思うと結構楽しかったことしか思い出さないんだけど、その当時は辛いことも一杯あったので、その記録として書きますね。

病気のことって何だ??っていう人は

病気のこと 全四章  ここから読んでくださいね♪

頚髄腫瘍という珍しい病気を患いながら、何とか仕事も続けてこれた私でしたが、ついに限界がきたのは去年の11月でした。

その1ヶ月前には大学病院で診察をしてもらい、手術が決まっていたので、仕事の引継ぎ等をしながら会社には行ってました。

けれども、風邪を引いてしまって食事が全く摂れなくなってしまい、11月29日で休職しました。あと1日で11月が終わるというのに、その1日さえ行けないほどだったのです。

それからしばらくは、病院から入院の連絡待ちの日々でした。

寒くなるのと同時に、少しずつまた右腕が動かなくなってきました。

ご飯を食べたくても、右手を口のところまで持っていけないのです。

あぁ・・・また少し悪くなったんだな・・・・  そう思ったけれど、私には何も出来ません。  ただただ病院からの連絡を待つばかりです。

でも、いくら待っても病院からは連絡がありません。

困った私は、母に頼んで病院に聞いてもらいました。

すると・・・・「まるさんは手術の予定が入っていません」との返事。

そんなバカな・・・と事情を説明して、至急入院等の手配をしてもらいました。

多分、大きな病院なので伝達の不備があったのでしょう、夜遅く電話がかかってきました。

12月13日に入院して、16日に手術をします。

前日の15日には手術の詳しい説明をしますから、ご家族の方に来て頂いてください。

あぁ、やっと入院できるんだ。やっと手術してもらえるんだ。

あんなに手術も入院も拒んでいた私が、そう思うほど体の自由が利かなくなっていたのです。

どんな結果になるのかは分からないけれど、今の苦しみからは解放されるかもしれない。放っておけば、もうダメになってしまう。全て、お医者様に任せよう、信じて任せよう。今はそれしかできないのだから・・・。

手術後の痛みを和らげてくれるという、大根を干して煎じた物を飲んで入院の日を待ちました。

2005年12月13日

その日はとてもいい天気でした。

両親と叔父が一緒に病院へ行ってくれました。

病院まで車で2時間。体調が悪く一言も口を利くことができません。病院について手続きを済ませ、病棟まで歩いて行きましたが、私の入院する病棟は一番奥にあってとても遠かったのです。

壁をつたいながら、ゆっくりゆっくり、やっとの思いで歩きました。

病室は明るくてきれいな個室です。

私の主治医のT先生は大学病院の講師で何かと忙しいので、補佐としてS先生が付いて下さいました。

ちょっと頼りなさそうだけど、優しい先生でした。

S先生は私たちが病室に入るとすぐに挨拶に来てくださいました。

「うちの病院は神経の手術も数多くやっていますから大丈夫ですよ。上手くいけば年内に退院できるかもしれません。クリスマスはちょっと無理ですけどね」

そう言って下さいました。

年内に退院出来るかもしれない・・・私も両親も一緒に付いてきてくれた叔父も、みんな笑顔で喜びました。入院して喜ぶのも変な話ですけど、先生の言葉がとても嬉しかったのを覚えています。

それからしばらくは居てくれた両親たちも、用事が済んだらすることが無いので帰ってしまいました。

初めての入院。ちょっと心細かったけど、それどころではありませんでした。検査が待っていたのです。

脊髄に長い針を通して血管の通り道を調べるとか・・・何だか聞いてるだけで恐ろしくなるような検査でした。

検査が終わると、後は何もすることがありません。夕食を食べて、テレビを見て、ボーっと外を眺めて (病室は9階だったので、眺めはよかった) 気が付いたら寝てました。

こうして、私の入院生活が始まったのです。

今日はここまでネ。

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2006年4月 4日 (火)

病気のこと ~最終章~

私、結構にぶいタイプなんです。熱が38度あっても「何か熱いなぁ~」って思いながら仕事するタイプ。

そんな私でも「今年一杯働けるだろうか・・・・」そんな不安を感じたのは、去年の1月のことでした。まるで何かのキーワードのように「今年一杯」という言葉が頭から離れる日はありませんでした。

案の定、夏に体調を崩して食事が全く取れなくなったり、秋に寒くなってくると明らかに足が動かなくなってきました。

9月の定期検査のとき、H先生は私の様子を見て、今まで我慢していた言葉をとうとう言いました。

もう、放っておくことはできなくなってきてるね。ここらが限界だよ。手術も考えてもう一度大学病院に行って見たほうがいいよ。

自分の体が限界なのは十分すぎるほど分かっていましたから、素直に大学病院に行くことにしました。すごく情けなかったのは、二度と行かないと決めた病院にまた行かなくてはならないことと、今度は100%手術を受けなければならないということでした。私の頑張りは2年ほどしか続かなかった・・・・

診察室を出てレントゲン写真や紹介状を看護士さんから受け取りながら、涙がポロポlロこぼれました。

大学病院の先生の顔ぶれは随分変わっていました。最初に診て下さったO先生は教授に昇進し、私の担当はT先生でした。T先生は私の症状を診て、入院して手術する手続きを取って下さいました。そして丁寧に説明して下さったのです。

残念ながら、この病気は手術をしても完全に元にもどることはないんです。だから、どのタイミングで手術をするかなんです。手術をすれば良くなる部分もあるけれど、悪くなる部分もあります。でも、トータルで考えて少し良くなったという人が多いです。

実は、前もっておじいちゃん先生の所へ行って紹介状をかいてもらいました。おじいちゃん先生は顔が利くので大学病院では融通がきくのです。紹介状の最後に「彼女にショックを与えるようなことはしないように」と書いてくれました。(=^_^=)

以前診てもらった先生とは違い、明るく「大丈夫だよ」と言わんばかりでした。手術に対する不安と恐怖は拭えませんでしたが、全てを先生に任せようと思いました。

入院までの1ヶ月は毎日這うようにして会社に行きました。その頃の母からのメールは毎日「大丈夫?」でした。

日に日に動かなくなる体を引きずるようにして毎日を過ごしました。気が付けば体重は10キロ近く落ちていました。

手術をすれば今より楽になれるかな?  また歩けるようになるかな?  私、どうなるのかな?  病院遠いのに通うの大変だよ。大丈夫?

毎日毎日、母に聞きました。母はいつも大丈夫大丈夫と言って励ましてくれましたが、きっと心の中は私と同じように不安だったはずです。

手術を決めてからおじいちゃ先生に報告に行きました。

そうか。やっとする気になったか。不安な気持ちよく分かるぞ。でもな、良くなるために手術するんだからな。それを信じて頑張れ。

おじいちゃん先生はいつもいつも私に力をくれました。

私は入院して手術を受けました。そして今の私がいます。少し不自由なところはあるけれど、自分の足で歩けるし、会社にも復帰できて幸せだと思っています。

長い長い病気の話しはこれでおしまいネ。付き合ってくれてありがとうございます。また機会があったら~入院編~でも書いてみようかな?

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